NPOが、鬼舞辻無惨 (キブツジムザン)になる〜「痛N」になってしまった

『鬼滅の刃」22巻表紙より 



 鬼舞辻無惨とは、『鬼滅の刃』のラスボスの名前で、キブツジムザンと呼ぶ。

 『鬼滅』自体は、僕は22巻まで読んだが、たしかに傑作だと思う(23巻が最終巻)。 その物語は、よくあるバンパネラもので、あの『ポーの一族』(萩尾望都)のエンタメ+日本版だと捉えればいいと思う。

 その『鬼滅』を、某NPO代表が汚してしまった。 
 その代表が言うには、「鬼殺隊(鬼をやっつけるチーム)の現代版はNPO」だという。 

そのツイートを引用すると、名誉毀損マニアのその代表がまたうるさいので、いちいち引用はしないが、Twitterの世界ではまた批判の連鎖となっている。 

 その代表は名誉毀損マニアであるとともに「炎上」マニアでもあるので、放っておくのが第一なのだが、その「軽さ」を見逃せない人たちもいる。

 そんな人たちを僕は尊敬する。 一つ引用すると、



  「表向き善良に見えるけれど別の社会問題を生むことに無自覚である存在」

 鋭い。 

 5万あるNPOのうち、1万は「事業型」で、その多くは「ミッションドリフト」(法人規模が拡大するとミッションが曖昧になる)を起こしていると思う(つまり法人維持のために利益追求型になる)。 

 その結果、新たな社会問題に対して無頓着になる。

たとえば、児童虐待支援のための特別養子縁組の仲介手数料が200万円近くになる、貧困世帯への食料支援のはずが「乾きもの」食材の消費先になる等。 SNSを通した発信活動により一見その問題が緩和されたかのように見えるものの、実はより潜在化してしまうことの重要ファクターになっている。

NPOの中途半端な活動があるおかけで、たとえば貧困問題のコアが見失われる。

 NPOの存在自体が、格差社会や貧困問題を隠蔽する。 NPOは、またそのNPO代表は、社会問題を隠蔽し、そのことで新たな社会問題を生み出している。 

 そして最も悲惨なのは、NPO自体がゼロ年代のそれと同じように、社会変革の騎手として自らを誤解して認識している。 

 それは単に野心の塊の組織、あるいは社会問題を産みだす既存の社会システムの末端、要するに魅力ゼロの存在に落ちぶれたにも関わらず、その事実に気づけない。 それはかなり痛い存在、「痛N」になってしまっている。