■「搾取」には説得力がない
Twitterだけではないが、ここのところ、既成リベラル/サヨク勢力による、SNSの炎上を利用した、「革命」運動が目立つようになってきた。
その趣旨は、以前当欄でも言及したように、19世紀以来の革命の原動力である「搾取」への対抗では説得力を持たなくなってしまった今、サヨク勢力が革命への起点とするのは、「差別」になったということだ。
それを僕は、下のように表現した。
皮肉なことに、革命が成就するためには、差別は解消されてはいけない。それは絶対的モチベーションの起点だからだ。
マルクスが科学的に解析した「搾取」が資本主義から理論的に生まれていたように、現代コミュニズムを続けるためには、「差別」も理論的科学的に存在し、永久に続く必要がある。
BLMの活動家はもちろん、日本のフェミニズム団体であるたとえばWAN(NPOウィメンズ アクション ネットワーク 上野千鶴子代表理事)の理事等もそれをよく知っているはずだ(黒人解放運動もフェミニズムも、60年代誕生時から大幅に変節した)。
もちろん、労働者はマルクスが分析した19世紀以来、変わらず「搾取」されている。
けれども21世紀の今、その理不尽な被搾構造は、なぜか労働者の団結には至らない。なぜか、「資本家」による搾取は労働者(非正規労働者は日本でも2,000万人もいるというのに!)の怒りを呼ばないのだ。
その代わり、過酷な非正規労働によって疲労する労働者の怒りにフィットするのが「差別」である。
アメリカでは「人種」、日本では「女性」がその具体例になる。
労働者という大雑把なマイノリティではなく、黒人や女性といった、被差別カテゴリーの代表格が、代表的両先進国の権力構造を覆す運動(革命)のシンボルとなっている。「搾取」は全く説得力を欠くコンセプトに成り下がってしまったのだ。
■虐待サバイバー、離婚時の子ども、DV被害を受ける夫たち
そこで利用されているのが、SNSである。
日本の某野党においては、2013年頃に「SNSを利用せよ」という指令が全党員30万人に飛ばされたという。
このネット時代の中で、先進的技術を利用して自らの「運動」を利用しているのはサヨク/リベラルだというのは注目される。
あの「2チャンネル」はとっくに40才前半ネトウヨたちのマニアックな媒体に成り下がってしまった。
今や社会を劇的に揺り動かす(それは「差別」言説などを利用して保守政治家や権力層を攻撃する)のは、SNSを「革命」運動の媒体と意識する既成サヨク/リベラルな人々だということだ。
こうして、SNSが「革命の技術」として利用されると、皮肉なことに、そうした革命主体たちが最も擁護したいであろう「真の当事者」たちが隠蔽・潜在化されていく。
真の当事者たちとは、
虐待サバイバー、
離婚時の子ども、
DV被害を受ける夫たち、
等々の、社会問題の構造の中で「サバルタン」化している人々のことだ。
■子どもたち他を新たな被差別者として規定している
SNS時代の革命主体たち(アメリカでは黒人、日本では女性)は、その潜在化されたマイナーのことを意識しているのかどうかはわからないか、自らの反差別運動に熱狂する。
その熱狂は、それぞれの革命主体たちの数百年に及ぶ怨恨のことを想像すると仕方がないのかもしれない。
19世紀から20世紀にかけて中心だった「搾取と労働者」というマイナーカテゴリーは古臭くなり、ついに自分たちの時代がやってきた。
その、被差別を起点にして社会変革/革命を求める熱狂は、皮肉なことに、20世紀後半から新たに出現した「完ぺきに潜在化するマイナー」、言い換えると「サバルタン」であるところの、子どもたち他を新たな被差別者として規定している。