「レイブル・ニート」に新しい職業訓練校と新しいインターンシップを

と、今回はタイトルのままなのだが、まずは「レイブル」の説明を。
レイブルとは、先日あった「ニート100人会議」の提案の一つにあったもので、従来のニート層の中でも、より「働くこと」に近い人達を「レイトブルーマー」と呼ぼうという提案だ。
遅咲きとは何とも微妙な言い回しではあるが、僕はよく知らないのだけど、アメリカではそれほど珍しくない表現だという。「遅咲きの花」は、敗者復活戦が当たり前の価値として根づいているアメリカならではの表現だろう。

この頃はほかにも、ニートとフリーターの中間に位置するものとして何か便利な言葉がほしいという話を、同業者から時々聞くようになった。
僕のスモールステップ理論でいえば、「長期就労実習型ニート」から「長期非正規雇用型ニート」あたりを指すと思う。
最近僕がよく言及する話で言うと、この層は社会保険(年金・健康保険)を親が肩代わりしている人が多いと思われるが、それは統計上どこにも現れてこない。
この層を一刻も早く数字として炙り出すことが、「若者の社会参加支援」というジャンルが一福祉・一労働問題に留まる問題ではないんだ、ということを訴えていく最大の動機になる。

若者が働くことで社会保険を支払い、年金予備金を枯渇させないことが(そして、その裏では高齢者自身が自身の年金の支払い受け取り年齢を遅らせ、消費税等の税金アップに耐えることで、事実上の「同世代=同世代負担」化にしていくことが)、おそらく日本社会が今世紀を乗り切ることができる土台になると思う。
若者問題が超少子高齢化社会の「一丁目一番地」の問題であるとは、こういう面からの提案だ。これが「社会防衛」という批判を受けることは織り込み済みで、社会防衛を一義的に考えざるをえないところまで我が社会は追い込まれているというのが僕の認識だ。
そういう意味では、僕も立派に「保守化」したのかもしれない。

レイブルとは、ニートのなかでも社会参加一歩手前まで来ている若者たちのことを指す。そしてこの若者たちが、僕の直感では数百万人は存在する。
社会学者・経済学者に課せられた使命は、この層の具体的な数を把握することだ。僕のようなものが直感的に語っていてもそこには何の裏付けもないから、何の予算もつかない。その意味で、若者問題に関わる学者の役割は非常に大きい。

そしてその正確な数を把握する作業と同時に、それらレイブルの人たちを社会の一歩手前で滞留させ続けない仕組みをつくっていかなければいけない。
その具体的手法としては、「職業訓練校」と「インターンシップ」を、時代にあった仕組み・制度につくりかえるということだ。
インターンシップについては、ニートインターンシップとして当ブログでも度々提案している。
職業訓練校については、老人介護等の実際にニーズがある現場を中心にプログラムを充実させていく必要がある。

グローバリゼーションの中のサービス業の賃金水準は、新興国の賃金体系に引きずられることになるそうだから、その賃金自体はそれほど上昇を見込めない。
ではそれを逆手にとって、「給料はほしいけれどもそれほど高い給料に見合う労働ができるかどうか自分には自信がない」という層を、そうしたサービス業に当てがっていくという発想は、ベストではないがベターな発想だ。そこに、「介護が必要な高齢者」と「仕事訓練が必要なニート若者」が“ウィンウィン”で結びつくことにより、互いが互いを補完できる。

以上、今起こっている大きなうねりみたいなものをメモした。
当ブログ右欄に新設したグーグル広告についての説明はまた次回〜。あ、プラッツの「行動指針2011」も次回以降ですね〜。★