「アラトゥエ(20)」の支援システムが見える国に

今日は9月最後の木曜日。僕の傷病手当もついに今月で終了し、来月から通常勤務に移行する。最後の木曜休日を何してすごそうかなと構想していたのだが、基本的に「竹林期」(竹林の中から人生を4つの時期に分ける
に入った僕としては、休みは家で過ごすほうが落ち着く。でも、午前中は頭が結構働くので、一気に読書モードになるのはもったいない。となると、やはりきた、このブログ書きへと突入だ!


そういえば、最近書いている「ニートが担う老人介護」(老人介護に「動的ニート」が真剣に取り組む時代がやってきた">

)の位置づけがはっきりしてきた。
つまりは、こうした事業的動きは、ある種の下位概念にあたるということだ。それらは他に、たとえば「ニートが担う農業」や「ニートが担う林業」や「ニートが担う製造業」などがあるだろう。
そして、こうした下位概念を統括する上位概念(戦略)が必要になってくる。

それを一言でいうと、「ニートインターンシップ」ということになるだろうか。マンパワーを求める業界でニートがインターンシップとして働くことにより、業界は労働者を確保し、ニートはスキルを磨くという図式だ。
簡単な図にすると、

戦略……ニートインターンシップ
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事業……「ニートが担う老人介護」「ニートが担う林業/農業/製造業……」

ということになる。編集者的にいうと、「ニートインターンシップ」という雑誌名があり、その雑誌の中に、「老人介護」「林業」他の特集が並んでいるというイメージだ。

このポイントは、社会にとっても(年金積立金が蓄えられる)、業者にとっても(熟練労働者ではなくマンパワーとしての労働者が確保できる)、若者にとっても(経済的自立に近づける)、そこそこ「ウィンウィン」(あるいはウィンのn乗)だということだ。
少し前までは当事者の中心年齢が20代半ばだったのでこのようなシステムは絵に描いた餅だったのだが、当事者の中心年齢が30代前半から半ばになったことにより、このような現実的な図式を構想できるようになった。
プラッツは、しばらくはこの「ニートインターンシップ」という戦略に則って事業を展開していくことになると思う。
これからはおそらく、従来の「インターンシップ」は学生対象の概念ではなくなる。

そしてもうひとつ、「アラ20」という上部概念/戦略も徐々にかたちがみえてきた。
これはもちろん、アラサーとかアラフォーとかアラフィフ(ってあるのかな)からいただいた言葉なのだが、アラフォーと違ってアラ20(アラトゥエにしようかな、でも言いにくいなあ)はだいぶ「支援」よりのニュアンスをもつ。
アラフォーは「40才になっても若々しく公私ともにバリバリ動く!」みたいな天海祐希的イメージだが、アラトゥエは「20才前後で躓いてもこれだけの再チャレンジがある」というリベンジ的イメージをもつ。

これは元々は、前々回に書いた
「ハイティーンひきこもり」をウィンウィンする方法は?
が出発点だ。いや、ハイティーンひきこもりは前回考えた名付けであって、10代後半の「不登校→ひきこもり」青年たちが行政の支援が薄いことは、10年前から僕はずっと気になっていた。
だが数年たつとすぐに成人してしまうために、行政の取り組みは遅れてしまう。問題が顕在化しないので行政は当然とりかかりが更に遅れる。
サポステも対象年齢なのではあるが、残念ながらサポステは「就労」が表看板のため、就労にまで決心のつかないアラトゥエ(ハイティーンひきこもり)はサポステに行くことをためらう。

その結果、余裕で5年以上のひきこもりになってしまうのだ。ここには当然、発達障がい(凸凹含む〜
子ども若者支援者、必読『発達障害のいま』〜参照
)当事者も含まれており、5年ひきこもるということは5年発達障害の発見が遅れるということだ。
発達障害でなくても、5年のひきこもりは、5年ひきこもらない人に比べて、生活体験・社会体験・知識量等で不利な面がある(ひきこもっている間は基本的にネガティブにひきこもってしまうため、その時間をなかなか有効に使えない)。長期間のひきこもりは、防ぐほうがやはりメリットが大きいと僕は考える。
そのために、アラトゥエ支援システム構築は非常に有効な戦略だと考える。

これは当然、一NPOが行えるわけでもなく、社会全体でシステム構築していかなければいけない。社会全体とは、支援機関以外にも、学校や企業、そしてここでも上のニートインターンシップに登場した福祉や農業関係の個人・法人・団体等が含まれる。
だが、新しく何かをつくる必要はないと僕は思う。ポイントは、このような「アラトゥエ支援システム」のような上部概念/戦略のもと、社会を構成する各組織がそれぞれの「ウィンウィン」のためにシステム化されることだ。

たとえば、通信制高校のアラトゥエ対策組織を各高校にまずはつくる。そのうえで、それぞれの組織の連絡ネットワークを構築する。
それと同時に、「アラトゥエ・インターンシップ(まあニートインターンシップのことだが)」に応じてもよい企業を開拓し、できる範囲のネットワークを構築していく。ニートインターンシップと同じように、マンパワー型の企業であれば、それほど悲観することはないと思う(当然開拓には時間がかかる)。
アラトゥエ・インターンシップは、福祉や農業といったよりマンパワー型の業界には歓迎されるかもしれない。

支援団体は、アラトゥエたちを心理的ソーシャルワーク的に支えていく。これもネットワークを構築する。

こうした取り組みが、超少子高齢化社会の「現役世代」を強化することにつながると僕は思う。現役世代の強化は、東日本大震災後の新時代の「復興」にダイレクトにつながる。
戦後、我が国がいち早く復興できたのは、若い世代が一斉にポジティブになり、職場と家庭の向上に邁進してきたからだ。その結果、高度成長と人口増加が達成された。
そんな戦後のような「復興」はしなくても僕はいいと思うが、21世紀に即した「復興」のかたちが僕はあると思う。その鍵を握るのが、今元気がないと言われる「若者」なのだ。

現在、60才以上が、大きな発言力と(選挙の)投票力と税金支払力をもつため、最も重要だと思われる以上のようなことが、日本お得意の「見えない化」になってしまっている。
これを「見える化」(まあこの言葉はどうでもいいが)させるために、「アラトゥエ支援システム」にも力を入れたい。これを、ニートインターンシップとならんで、淡路プラッツのふたつめの中期戦略目標にしようと思う。★